神戸市垂水区在住の高橋秀典と申します。申立の思いを陳述させていただきます。
私は、20年前の阪神大震災を神戸市職員として経験しました。ぺしゃんこになった住宅から生存者を助けるときも、膨大な被災者の生活再建においても、役所としてできたことは限られています。相互扶助の大切さ、そして何よりも行政の不十分さを住民自治の力で改善していくことの大切さを痛感しました。私の阪神大震災以降の人生は、市民が職員や専門家と連携して行政を改善するために貢献することに捧げています。
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故によって、阪神大震災以上の膨大な被災者の方々が苦しんでおられます。とくに阪神大震災の被災者においては、「住み慣れた街にみんなで戻ろう」を合言葉に生活再建をしてきた方が多いのですが、放射能にまみれた原発被災地においては、その合言葉自身が放射能に対する個人個人の考えや家庭の事情の違いを浮き彫りにして、家庭や住民の絆をずたずたにしている現状があります。答えの見えない被災地の状況があるからこそ、一人一人の事情に即した生活再建を行政が支援することを願ってやみません。
そしてさらに行政に求められることは、この被害を招いた原因を明らかにし、施策の改善につなげることであります。いうまでもなく原発事故においては、原子力規制委員会の規制基準が福島事故の教訓を踏まえて改善されたかが重要です。ところが驚いたことに、規制委員会の耐震ルールつくりに関わった藤原広行さんが「基準地震動の具体的な算出ルールは時間切れで作れず、どこまで厳しく規制するかは裁量次第になった」「今の基準地震動の値は一般に平均的な値の1.6倍程度。実際の揺れの8~9割はそれ以下で収まるが、残りの1~2割は超えるだろう」と今年5月7日の毎日新聞で明らかにしました。原決定が平成17年以降10年足らずの間に4つの原発に5回も基準地震動を超える地震が到来している事実を指摘して規制基準を批判したことに対応して、行政の当事者が内部告発したわけです。
「行政は福島のような事故が起きないように事業者を規制してほしい」という国民の期待に、行政は応えていないという事実が明らかになりました。原決定の社会的影響は極めて大きかったと言えます。そして、行政内部の良心的な方が名誉をかけて規制委の実態を明らかにしているからこそ、今回の審理においては、原決定を上回る規範形成が求められていると思います。これは原発をどう見るのかという価値観の問題でなく、未曽有の大災害を受けてこの国が市民の命を守るためにバージョンアップしていくために司法や市民に課せられた責務である、と私は思うからです。
今回の審理で福井地方裁判所は、テーマの専門性に鑑み、裁判所の理解不足を補うために長時間の口頭説明の場を作られました。これはきわめて意義があることだったと思います。なぜなら、先に引用した藤原広行さんは、規制基準については電力会社のコストにも影響するので国民的議論が必要とも述べられています。原発事故が起きてしまったからこそ、規制基準を構成する科学的知見が難解だからとその妥当性の判断を行政にゆだねるのでなく、司法や市民が自ら学習し、判断することが求められているのだと思います。まさに原子力発電所の規制基準問題が、現代科学で言われている「科学によって問うことはできるが、科学によって答えることができない問題群からなる領域」であることを示しています。私も含めて多くの市民も今回の審理内容を学習しました。そういった努力が、規制基準についての国民的議論につながると確信しています。福井地方裁判所が、原決定以上に国民的議論のきっかけになる決定を出していただくよう、切に願います。
以上
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